日本語は曖昧です。この曖昧さを取り違えて授業を展開しようと思うとうまくいきません。
よくある失敗例として挙げられるのが、国語の「主人公はどのように思いましたか」と問う曖昧な発問です。
どのようなと問われても大抵の児童生徒は答えられません。答えが複数あって、どれを答えたら正解かわからないからです。
このような時に正解を導くのは、いわゆる「賢いお子さん」です。先生の話したい意図を推測して、期待通りの発言をします。こうした展開は盛り上がらず、つまらない形になりやすいです。
このような場合は『限定』をするとよいです。
色や形、音やかおり、例えや行動…答えなくてはいけないものをハッキリさせるとうまくいきます。
多くの方が知っている川端康成の「雪国」を例にします。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
冒頭の文章を使って、発問を作ります。
児童生徒が答えにくいのは例えば次のようなものです。
「雪国はどのような所ですか。」
何を答えても大抵は正解になります。答えにくいのです。
そこで限定します。例えば次のようなものです。
「雪国に入ったのは昼ですか、夜ですか」
この場合は時間帯を限定しています。
雪が目に見える時間帯ですので「昼」と答える場合が多いです。
次の発問に進みます。
「長いトンネルから抜けた時に雪国を見た時、皆さんだったらどのような変化が出ますか。
長いトンネルから抜けた時に雪国を見た時、という文章でまとめなさい。」
明るさの変化。景色の変化。心情の変化。さまざまなことを考えやすくなります。そして「対比」という文章技法を教えることができます。
生徒指導でも曖昧なままでは指導がしにくいです。
「どうして叩いてしまったの?」
ムカついたから、なんとなく、理由もなく、目の前にいたから…
様々な理由にならない理由が上がります。
論理としては無茶苦茶ですが … 続きは「教採コンシェルジュSchool」で…